fit styleの周りではついに蝉が鳴きだしました。
鳴き声を聞くだけで暑くなる夏の風物詩ですが、有り難くもこんな田舎でも足を運んでくださる方が居ます。
あるコピーライターのお話です↓
あなたが散髪屋さんだとします。
散髪屋さんが一軒も無い国で営業することになりました。
あなたは
「これはチャンス!」とガッツポーズ。
しかし空港を出るとその国はスキンヘッドしか居ないのでした。。。
どう思いますか?
「ダメだこりゃ。この国じゃ商売できまへん」
と思いますか?それとも・・
「育毛剤が売れるやん!!」
とピンチをチャンスに変えますか?
それとも・・
朱に交わり同じくスキンヘッドにしますか?
それとも・・・
育毛剤を売りながら散髪屋もはじめませんか?
いかがでしょうか。
こんな話に出会うと僕はなぜかワクワクします。
チャンスはどこにでもあり目の前の状況をどう捉えるかで、そのチャンスがさらに無限に広がるのです。
すべてわたしたち次第だ。
かつて多くの人が飛行機は空を飛べないと言っていたことを思いだせ。
グレース・マレー・ホッパー
この「らしさ」は時代とともに変化している。
身の回りにある情報内で各々のらしさが違うのは当たり前ですが、これだけ情報があふれている現代、なにが男でなにが女なのかさえよく分からない。
価値観の多様化とひとことで言えばそれまでなのですが僕がリスペクトする「男らしさ」を持つ人物がいる。
今のところ
不動のランキング№1
「北の国から」
黒板吾郎
本日、BSで6時間一挙放送されていました。
リスペクトしているにも関わらず仕事とはいえ、失礼にも途中からの観覧となってしまった。
このドラマを越えるドラマを僕はまだ知らない。
吾郎さんのどこまでも謙虚な姿勢と変わらないアイデンティティ、そして「家族愛」は日本人な心を忘れさせない。
お金は人を幸せにするアイテムですが、それに執着しすぎると遠ざかるという事。そして
何かを手に入れるより手放すことの大切さも教えてくれる。
今日はどうしても見たかったので
チャンネルは誰にも渡さなかった。
まだまだ手放せない男であることを自身で再確認した。
一緒にドラマを見せていたチビ達に番組が終わるころ。。。
「キミ達がおとなになる頃、もう一度見てごらん」
そう言って振り向くと、
うっすらと白目をむいた2人はすでにお休みになられていた。
僕があの吾郎さんのような
タフでクールなナイスガイになれる日は来るのだろうか。
人間がはるか昔から必要としているものの一つは、あなたが夜家に帰らなかった時、どこに行ったのだろうと心配してくれる人たちが居ることだ。
マーガレット・ミード
最近の
やり投げ知名度は
ディーン元気選手によって急上昇しておりますが、Wasakaのやり投げブームは少し前でした。
以前サポートしていた選手が最後の近畿大会の終了と共に一区切りの挨拶に来てくれました。
結果は近畿大会9位(和歌山ではついにNo1!!!
)
記録も54m台と自己新記録!!!
おめでとう!!本当におめでとう!!
順位や記録ではなく
「やりきりました」と言えたあなたが素晴らしすぎる。
一瞬、自身を振り返ってみた・・・
言えたか??
・・まあ、とにかくだ。
サポートを終了して数ヶ月経ちますが、こうして最後の挨拶に来てくれるのは本当に嬉しいですね
それからは競技として意識して見るようになり、先日のロンドン最終選考会にも足が向いた。
やっぱりこういうの・・・
いい!! いいな!! やっぱりいいな!!
人間は物事を忘れる生き物ですが、彼の人生の中で熱く輝いた時期を共有できたことは忘れずにいたいと思います
熱い思い出話の帰り際に
「コレ滋賀のお土産です」
と手渡してくれた↓
「え!?そんな、気ぃつかうなよ~!」
「実は京都のインターで買いました」
忘れかけてるやん・・・
幸福とは?
健康と記憶力の悪さじゃないかしら。
イングリッド・バーグマン
きゃりーぱみゅぱみゅ
が滑らかに言えないのが最近一番の悩みですが、日本では言葉に宿る神さまやその力を
言霊といいいます。
最近は言葉の重みが少しだけ分かるお年頃になってきました。
※言葉の使い方ではなく重量感です。
昨日は嫁の誕生日会が実家で盛大におこなわれました。
前夜祭もあったようですが僕は仕事でノーエントリー・・・
(前夜祭まであるとは彼女は幸せ者です)
言葉にメロディーを合わせれば感動を生むわけですが、それを子どもがやると、もう反則です。
感動的なそれを見た自己中な彼は、横取りで名曲
「猫踏んじゃった」片手バージョンを弾き始めるというKYさを爆発させていた↓
ついには、92歳のばあちゃんの退場命令が出た。
それにも関わらず彼は気の向くままに、
猫ふんじゃった片手バージョンをヘビーローテーションしていた。
素人目に見ても彼はピアニストには向いていない。
まずは場の空気を読むことからだ。
周りに生かされている事と言葉の重みを実感した誕生日会だった。
「自分のため」には限りがあるが「あの人のため」はありえないところまでいける。
幼稚園最後の日曜参観
チビ①&②で通算5回目(5年間)まで参加できたのは有り難いですね。
始まりがあれば必ず終わりがあるわけで・・・
そして
終わればまた始まるわけで。
幼稚園の教室に入ると2人のクライアント様(ママ友)に・・・
「先生!!ちっちゃなったな~!来週もお願いします~」
パパとおそろいのTシャツを着たチビ②をちゃかしていた。
かなりパパに似てきたおチビ君は、照れ笑いもそっくりだったようだ。
そんなパパも
パパの前は息子だった。
21歳までの父との思い出はいつも笑顔の場面しか思い浮かばない。
(酔っ払っている場面も多々出てくる・・・)
小さい頃の父は大きくて強かった。
しかし大人の階段を登るにつれて
一人の人間であることが分かったきた。
その瞬間はとてもショックだったが、もう少し大人になったときにはなんとなく理解できるようになった。
今、2人の父になり
叱られ、褒められていた意味と厳しさ、優しさが身に沁みて分かる。
父の日の最後は家族でお墓参りで締めくくった。
お墓を洗っているチビ君を見ながら
「パパは強い」と言っていた彼の言葉を思い出した。
・・・なんだか変なプレッシャーを感じた。
パパが
一人の人間であることを理解するのはいつ頃か。。。。
最近チビ君は、なにかにつけてパパに
勝負を挑んでくる。
彼のこの行為は
自分の力を試しているのだ。
勝つか負けるかそれは分からない、
一発勝負!!ビビッても勝負するか?
それとも、ビビッてやめちゃうか?